『週刊SPA!』
勝谷誠彦氏の「ニュースバカ一代 『Vol.120 奈良女児殺害事件の巻』」より。

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「子供の命や表現の自由より『性犯罪者の人権』が優先されるおかしさ」

この国で今もっとも問われているのは「物事の優先順位」である。
奈良で逮捕された女児誘拐殺人犯の変態を巡る議論を聞いていて、私はそれを定義づける能力が日本人はひどく低下しているのではないかと思った。
変態の殺人犯の人権と、子供のそして女性の人権、さらには表現の自由までもが、あたかも同じ価値があるかのように馬鹿共によってわあわあと論じられているからだ。

欧米では前科のあるああいう変態の居場所は警察が把握し、あるいはウェブを通じて誰もが知ることが出来るろ新聞が報じ、おずおずと「しかし日本では」と左右を見回してみせる。
今この瞬間にも同様な変態が野放しになり、子どもの命が奪われるかもしれないというのに。
子どもを毒牙にかける変態の「人権」と、私達が国家の将来を託し、何より守らねばならない子どもの「命」とどちらが大切なのか。

命という一番重いものをあえて出すまでもない。男女問わず幼時の性虐待は一生影を落とす。
今回の事件を巡って私は何人かから深刻なそういう体験談を聞いた。
卑劣なメディアが長年「いたずら」などという誤魔化しの表現で書いてきた行為が、多くの人々の人生を狂わせてきたことを知った。
奈良の変態も最初の「いたずら」ではろくな懲罰も受けていないのだ。

表現の自由についてもそうである。知識人と称する方々は過剰な性情報が犯行の裏にあって、その規制が必要だという。
表現に関わる人々がかくも軽く、自らの手を縛ることに私は愕然とする。
繰り返す。
変態の『人権』と表現の自由を守ることとの『価値の優先順位』はどうなるのか。無責任な事を言うな。

簡単な話である。
子どもを犯したり殺したりする過去を持つ人間。
そういう性癖を有する人間については人権を制限すればいいのだ。
それは「公共の福祉」を優先する憲法も認めている。
大人はきちんとその責任を果たせ。
次の犠牲が出る前に。




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「勝谷誠彦のXXな日々。」
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